視点・論点
Insight/ Foresight (NHK視点・論点 英語版), Aug. 31 and Sept. 01, 2001, NHK World
2005年10月8日にパキスタンが実効支配するカシミールの山中で大きな地震が発生しました。2005年11月8日の時点でのパキスタン政府の公式発表は死者73,276人、しかしその実数はさらに大きいものと推測されています。アメリカ地質調査所のウェブサイトには1900年以降1000人を超える死者を出した地震の統計が載っています。この一覧表によればパキスタンではこれまでに107,000人以上がこうした地震で亡くなっていますが、実にその70% 以上が今回の地震によるものであり、この地震が過去1世紀で最悪の惨事であったことに思い至るのです。
日本はパキスタンから6000〜7000 km以上離れていますが、今回の地震を決して対岸の火事と見ることは出来ません。 ここに同じ縮尺の2つの地形図があります。左側はカシミールの被災地であり、右は日本列島中央部にある標高2000〜3000mの嶺が連なる赤石山脈です。カシミールもそして赤石山脈も固く変成作用の進んだ頁岩などが卓越して見られ、このあたりが地殻の大きな圧縮力を受けていることを物語っています。カシミールを南東から北西に向かって流れるジェーラム川はこのあたりの中心都市であるムザファラバードあたりで大きく向きを変え、南に向かって流れ下っていきますが、この様子は天竜川など赤石山脈や木曽山脈を流れる川の形態と酷似しています。
ここに2つの衛星写真があります。左は衛星IKONOSからのムザファラバード市内の様子であり、右は2004年の中越地震で被害を受けた川口町武道窪あたりの地形です。ともに穿入蛇行する川筋に囲まれた河岸段丘上にあって、旧河道筋や周辺山地から運ばれてきたやわらかい土砂が堆積するあたりで家屋被害が大きかったことが報告されています。
この写真 はムザファラバード北郊に現れた地震断層に沿う撓曲崖で、撓曲崖上の家屋が全壊している一方で平坦な下盤上の家屋が被害を受けながらも直立している様子が対照的です。同様の事例はムザファラバードの30km北に位置するバラコートでも見られます。バラコートを南東から北西に横切る断層に沿った撓曲崖上でほぼ200mの幅にある家屋のほとんどが壊滅したのに、これを外れた場所の家屋の多くが倒壊を免れていたのです。道一つ挟んで”天国と地獄”に分かれてしまったのです。
この写真 には”壊滅した200mの幅”にある家屋の屋根を支えていた4本柱が外側に向かって開くように傾いでいた様子が映っています。4本柱の基礎はそれぞれ独立して撓曲崖斜面を覆う未固結の地中に浅く埋められていたと思われ、斜面全体の土砂が変形するのに追随して動いていき、ついには屋根を支えきれなくなって家屋の倒壊に繋がったものと思われます。もしこれらの柱の基礎が一体になっていたらここまでひどい倒壊に至らなかったのかもしれません。再びカシミールと赤石山脈の類似性を思い起こしてください。同じ規模の地震が類似のメカニズムで起こったとするといったい何が起こるのか、そのヒントは間違いなくカシミールでの災禍の中に隠されています。
地震直後にイスラマバードで開催されたドナー会議の決議でいくつかの重要な復興プロジェクトがスタートし、被災の帯であるジェーラム川沿いにはドナー各国や国際機関の旗が翩翻とする様子をみるようになりました。国際協力機構(Japan International Cooperation Agency:JICA)はジェーラム川沿いの5橋の復旧を手掛け、世界銀行はジェーラム街道の復旧に取り掛かっています。しかしながらこれら分担して進む復旧事業の中で各機関がそれぞれの情報を交換し共有することは容易でないように思えます。ジェーラム川上流の山中で一支流が8千万m3の崩壊土砂でせき止められ大小2つの湖が出来上がったことは、復興の進む下流域の人々にとって大きな脅威となっています。湖水が満水に至るまでにはまだ時間がかかると思われますが、ともかく満水時には6千2百万m3の水が貯まり、この土砂ダムの決壊の可能性が大きな関心事になることは間違いないと思われます。
この貯水量は1847年の善光寺地震で発生し犀川を塞き止めた虎空蔵山の崩壊土砂背面の貯水量の1/5ほどではありますが、善光寺地震の19日後に起こった土砂ダムの決壊は下流域に20mを超える高さの津波となって押し寄せ、このような土砂ダムの決壊がいかに大きな被害をもたらすかを考えるうえで忘れてはならない前例でしょう。 巨大地震はまれにしか起こりません。しかしいったんそれが起こればその社会的インパクトは単に空間的のみならず、長期にも及ぶ深刻な国土保全の課題を引き起こしかねないのです。だからこそ対岸の火事として海外の事例を見るのでなく、他山の石として重要な情報を科学的に集約する努力が地震国日本には求められると考えるのです。関東大震災のあと国際連盟やロックフェラー財団からの多額の寄付が倒壊した大学の図書館の整備にあてられたり、また震災の2年後に地震研究所が設立された背景にはそうした情報集約の重要性が潜在的に意識されていたのではないかとも思えるのです。
私はパキスタンに莫大な投資をして重要な研究施設を整備すべきだと申し上げているのではありません。もちろんそれができればそれはそれとして素晴らしいことですが、重要なことは地震の被害の事実と、それから得た教訓を科学的に計測された情報として集約し、共有し、そしてそれらを開示する仕組みづくりが多くの犠牲を払って得たものを復興に合理的に役立てる上で大切だと考えています。世界の被害地震の1割が起こるとされる日本の研究者はあらゆる国のあらゆる地震被災地で何らかの貢献をしたいと強く願っているはずです。新しくスタートしたNPO「国境なき技師団」がそうした技術者の受け皿になって、そうした活動に何らかの貢献ができるのであればよいと願っています.
補遺:
*1 Hattian Ballaの土砂ダムは地震から4年4か月後の2010年2月に決壊した。決壊の半年前に研究室のメンバーは現地州政府の地震災害復興局などに決壊時の洪水の想定結果を伝えていた。現地Hattian Balaの街では、想定にほぼ近い20mの津波が押し寄せ20戸ほどの民家が流されたが、早期の避難がなされたため1名の犠牲者にとどまったことは不幸中の幸いであった。

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